神奈川県逗子市の「住吉山 悟眞院 正覚寺」

正覚寺のあゆみとこれから
ホーム > 正覚寺のあゆみ

正覚寺のあゆみとこれから

住職氏名
脇川正暢
境内諸堂
本堂・庫裡
寺宝
本尊 阿弥陀如来
年中行事
春秋彼岸会、施餓鬼会
教化布教
掲示伝道
由緒沿革
【開山】然阿良忠上人
【開基】眞蓮社快譽
【開創】天文10年(1541)年3月
当寺の開山は鎌倉光明寺の開山浄土宗三祖良忠上人で、初めは良忠院悟真寺と号したようです。「新編相模風土記」には、「記主禅師駐鍚の旧跡なり、師の閑居せし岩窮今に境内にあり、其頃は悟真寺と云へり」と書かれています。寺伝によれば、良忠上人が仁治元(1240)年に念仏布教のため鎌倉に入り、執権北条経時の帰依を受け住吉谷(現在の正覚寺所在地)を拠点に念仏信仰を広めました。執権経時は良忠上人のために佐助谷に蓮華寺を建立し、のちに材木座に移し、光明寺と改称したと伝えています。「光明寺開山御伝」には「葬送住吉瓶子山麓茶毘所」とあり、この地は良忠上人を茶毘に付した所ともいわれています。また浄土宗十夜始祖であり、大本山光明寺第九祖である観誉祐崇上人の五百年遠忌記念で光明寺から発行された『観誉祐崇上人について』では、祐崇上人は神奈川県鎌倉井之島(正覚寺のある地名である飯島)住吉谷に入り、岩窟に移住して、念仏を業としたとある。これから推測すると、正覚寺の前身である悟真寺に良忠上人がまず居住し、その後、祐崇上人も住んでいた事になるとの記述がありました。
寺の背後の丘陵一帯は、三浦道寸(義同)の支城の住吉城であり、永正9(1512)年に北条早雲に攻められて落城し、寺も兵火で焼失しました。その後、光明寺十八世眞蓮社快譽上人がこの地は「是れ三祖上人の遺跡也」と述べ、天文10(1541)年3年に悟真寺を再建し、開山を良忠上人として、寺号を正覚寺と改めました。本尊阿弥陀如来は十世報譽上人が尾張中納言宗春の側室民部女の病気平癒の祈願を行い、そのお礼として民部女が自らの稔持仏を寄進されたものです。享保20(1735)年に入仏供養を勤修しました。
境内には、良忠上人あるいは頼朝が数珠を掛けたと云われる「数珠掛松」がありました。本堂裏には、良忠上人が籠居し、「伝通記」を書したといわれる洞窟(矢倉)「然阿洞」があり、「伝通記」巻三に「悟真寺」の名が見えます。
三十一世正譽流暢代の昭和四十五年に本堂の屋根をスレートに葺替え、庫裡を改修しました。三十二世清譽正暢代の平成十九年に墓地整備を行いました。

お知らせ 正覚寺のあゆみとこれから 行事のご案内
墓苑について 交通のご案内 お問合せ


    当山本尊 阿弥陀如来像



   当山 浄土宗第三祖然阿良忠上人像
 

ページ上部へ

〒249-0008 神奈川県逗子市小坪5-12-2 tel.0467-22-7204